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アイアムアヒーロー22巻最終回ネタバレ ぶん投げラストに1巻から読んできた読者が本をぶん投げる

ゾンビパニックサバイバル花沢 健吾作「アイアムアヒーロー」が22巻でとうとう最終回を迎えることになり、

「600円以上すんの? こんなに高かったっけ? え?めっちゃレビュー酷評なんだけど。まあでも1巻から読んできたし、最終巻だからしょうがないから買おう」

と期待半分で読んでみたところ・・・

 

「アイアムアヒーロー」22巻の試し読み

 

伏線がまったく回収されず、ZQNが突然いなくなり、

 

『誰もいない雪の降る東京でひとりイノシシ狩りをして睡眠中はてっこと小田さんと比呂美の夢をみつつ3P妄想する生活エンド』

 

え?え?え? えええ〜!!!? 

 

と、たしかに「これは1巻から読んできた読者が本をぶん投げる終わり方」でした。

いや、そんなはずはない・・・作品のどこかになにか見逃してしまった秘密が隠されているに違いない!

というわけで、3回くらい読み直して「何か意味がある箇所がなかったか」探していきます。

 

比呂美は結局どうなった?

一番スッキリしなくて謎のままに終わってしまったのが、比呂美のことです。比呂美がZQN集合体みたいなのに取り込まれてから、英雄に目を撃たれたことで「なんでうつの?ひでおくぅぅん」と裏切られた!とキレだし、生前?の「小田さんを英雄が自分の手で始末できないから代わりにやってあげたのに悪者扱いしやがって!」という不満をもとに殺意を抱くように。

 

そもそも比呂美がZQNの上位種であるクルスたちに「呼ばれた」意味も不明なままで、最後までクルスとの絡みもなかったし。

英雄を恨んで巨大化ZQN比呂美が殺そうと追ってきて、取り込んだあとで「この男は生かしておいたほうが勝手に苦しむから生かしておこう」みたいな流れで助けちゃうわけで。う〜ん、比呂美の中の善と悪の心がチグハグな行動を生み出したという解釈でよろしいのでしょうか。

 

で、そのままビルに引っ付いて他ZQNを全吸収して固まる?で、おわり。比呂美はクルスとも会えず、人の意識も失って消滅したんですかねえ。英雄の夢の世界でもいいから、比呂美とのことはちゃんと決着つけてほしかったです。

 

中田コロリルートはすっきりしていた

英雄に対して、中田コロリルートでストーリーを追うと、逆にすっきりした流れで終わります。コロリ隊長は部下の右足が悪かった少女(ごめん、名前わかんない)が実は比呂美と同じ感染者でクルスになり、彼女が「生かそう」と決断したおかげで、若返ったおばちゃんを助けてコロリたちが脱出に成功します。

南の離島でZQNを駆逐し、おばちゃんとの間に子供も生まれ、まわりには仲間たちがいて助け合い、温泉でわきあいあいしながら楽しそう。

コロリは英雄の残した物語を描き続け、子供たちに編集者になってもらい「英雄しゃんに見せたいでしゅ!」と最後まで漫画家でいる、という円満エンド。

 

コロリが主人公でこの終わり方だったら、読者も納得できたのではないでしょうか。ひょっとすると花沢先生は「読者が望むであろうエンド」はコロリにまかせて、あえて英雄で自らが一番納得がいくエンドにしたのかなあ、と勝手に推測。

中田コロリって『英雄がリア充だったらこうなった』と感じるキャラなんですよね。同じ漫画家で、作品をヒットして大先生になり、漫画の才能にも恵まれ、変態チックなところはありながらも人と円滑なコミュニケーションができる人。

だからこそ、ラストはたくさんの仲間たちに囲まれて、綺麗で若くなったおばちゃんともくっついて幸せを享受します。

 

まさかの3.11震災オチ?

二回目読み返してようやく気づいたんですが、英雄がひとりでダラダラ生活しているときに「時計」がやたらクローズアップされています。2011年、ひとりで「あけましておめでとう2011年」のあとで3月に入り、時計が「2011年3月11日14時47分」になったとき、地震が起きて怯えていました。

1分ズレていたのは、パラレルワールド設定だからかな・・・。英雄は救助を期待してZQNも生存者もいない東京をひとりさまよい歩き、「坊や」と呼ぶ矢島的存在な妄想の交通標識の男の子と会話しながら生活。眠っている間は、てっこと小田さんと比呂美とのエッチな夢を見て生きるだけ。

あるいは夢の中で集合無意識と共に暮らしているんですかねえ。意味深げに3.11震災を匂わせていたので、「これはひょっとして英雄は地震ですでに死んでしまって彼自身には自覚がなく、無意識の中の廃墟と化した東京をさまよっているのでは」と深読みしてみましたが、その後も普通にサバイバルしつつ季節が移り変わっているので、震災オチでもなさそう。

 

キーワードは「赤ちゃん」?

意図がわかったわけではないのですが、なんとなく気になるのは「赤ちゃん」なんですよね。おばちゃんがいきなり若返って、どんどん子供を産んでいく理由。そして、英雄が狩った鹿のお腹に赤ちゃんが入っていた場面。

コロリや英雄が助かったのは、あの右足が悪い女の子がクルスたちを呑み込んで自らクルスになり、精神世界で「俺達が王様だ。誰も見ていない裸の王様だがな」という裸ネクタイメタボに、「見られたいなら、生かそう」と言ったあの一言なんですよね、きっと。

おばちゃんを若返らせたのもあの女の子の意志で、「自分たちを見てくれる人間を残す」という意味で繁殖可能な若さに戻したのではないかと思えます。

 

クルスとは何だったのか

初代クルスの実体が寝たきりのおじいさんだったのも驚きで、このウイルスでクルスになれるのが「絶望している人間にとって希望の光」という設定だったわけですが、それを言うなら英雄にもクルスになれる条件は整っていたはずです。

てっこに噛まれたときに感染してたんじゃないのかなー、と思える描写もあったり、ときたま精神世界に入り込んだりしていたので、英雄も本当はクルス化できたはず。

でも、「絶望」というほどの絶望は英雄からは感じられないんですよね。どちらかと言うと、「絶望」よりも「コミュニケーション」に難のある人間が選ばれた基準っぽい。

結局、ラストでなんの秘密も明かされなかったので想像しかできないんですけどね。クルス化したところで、何かすごいことができる、というほどでもなかったし・・・。

 

花沢先生は何を描きたかったんだろう

延々とぼっちで妄想を友に東京でサバイバルし続ける英雄。コロリの円満エンディングとは対照的に、誰もいない、何もない世界。アイ・アム・レジェンド、ラストマン・スタンディング、というやつでしょうか。絶望も希望もなく、あるのは命だけ。

ゾンビ物語は正直、何もかもつじつまを合わせた終わり方が難しいけれども『現実のヒーローなんてこんなものだよ』という、メサイアコンプレックスに対する作者のアンチテーゼなのかなあ、と思ったり。

 

「ヒーローは誰なのか」という視点から見ると、やはりコロリこそがヒーロー役にふさわしい。みんなをまとめるリーダーで、孤島へ導いて皆を生かしたヒーロー。島のおじいさんおばあちゃんが「この島じゃ、みんな支え合って生きてるんだ。一人では生きていけないんだよ」という言葉に集約されています。

正統派のヒーローは「中田コロリ」で正解。けれど、中田コロリにとっての「ヒーロー」は、実は「鈴木英雄」だったりします。彼の初版本を胸に入れていたおかげで撃たれても死なずに済み感謝し、英雄の漫画家としての才能を一番高く評価してしたのもコロリ。

「ひとりでは生きていけない」普通の人々と、「たったひとりでも生きられる」英雄。アイ・アム・アヒーロー・・・

 

投げっぱなし、という評価が大半ですが「3回読めば何かがわかる」と思うので、1巻からずっとつきあってきた読者は最終巻ですから、どうせなら最後までつきあいましょう!!

 

>>「アイアムアヒーロー」22巻の試し読み

 

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